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障害者として生きる ブログトップ
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健常者を手本・基準とすることは正しいのか?(4)最終 [障害者として生きる]

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ブログなどで、脳卒中片麻痺障害者になったにもかかわらず、障害の程度が軽かったために、健常者の側の「強者の論理」から全く抜け出せないでいる人がいます。視野が狭く、社会の中で、障害者が置かれている状況が全く見えていない。こうなると障害者だけに一層始末が悪い。


 

この障害の重い片麻痺の状態を、とりあえず、短期的な前提条件として、その中で少しでも安全に楽に移動や生活ができる手段を考えていく。そんな個別的・個性的な訓練、知恵を積み重ねていくことが自立への道であって、健常者風を目指せなどは、障害の程度を無視した上から目線の無茶苦茶な話です。


 

重度の障害者が、健常者風に歩くなどそんな簡単なものではありません。そもそも 何事も健常者を基準にして 、障害者に やる気・努力を求め、 結果を出せないと、やる気・努力が不足していたと責める。


 


目には見えませんが、いったん失えば回復できないこともあるのです。それを何でもかんでも健常者基準で考えることに、社会の傲慢さ、障害者問題の根の深さ感じます。


 


障害を諦めろと言っているのではありません、障害の程度によって目標は人それぞれ違ってくるということです。障害が重いと「健常者風」は夢のレベルです。あまりにも高く非現実的な夢は障害者を苦しめます。ましてそれを健常者側が求めることなど、無理解としか思えないのです。


 


障害者にとって、最大の難敵は「社会の無理解」です。


 


 


それじゃ~また


 

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共通テーマ:健康

健常者を手本・基準とすることは正しいのか?(3) [障害者として生きる]

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片麻痺障害者の中にも同病者に対して、こんなこと言う人がいます。「 回復しないのは本人のやる気や創意工夫が足りないからだ。逆に私がこれほど回復しているのは、やる気や創意工夫の結果だ」と声高に主張する。


 

こんな人は障害が軽いため、そもそもリハビリ施設で過ごした期間が短いのです。ですからリハビリしている 多くの患者を見ていないのです。長くリハビリ室に通い同病者や脊髄損傷等の多くの患者を見てみると、 非常に 障害が重い場合に健常者風に歩くなどというのは 単なる絵に描いた餅にすぎないことは一目瞭然です。


脳卒中片麻痺でも、膝関節も、足首関節も、自ら曲げられない重度の障害者が、まっすぐ前に足を出すことは困難を極めます。


 


普通の人の歩行時の歩幅は「身長-100cm」程度が普通のようです


 


こんな記事が出ました 。自分の歩幅はは75cmで身長マイナス100よりも5センチ長く、身長の訂正が必要。脳卒中ブログ村では歩幅40cmの人が多く(私は40cmと書いています)それなら 身長は140cmになる というような記事です。 こんな人間性疑われる腐ったことを堂々と書く輩が脳卒中ブログ村にいるのです。


 

世の中には低身長で悩まれている多くの方がいることに考えが及ばない人は、もはや同じ障害者と呼べません。


私は失礼ながら、この人の記事を何度も批判してきました。後遺障害が非常に軽く、その上から目線の言動は脳卒中ブログ村にはふさわしくないと何度も指摘してきました。でも優越感を満足させてくれるので離れなれないのです。障害は軽くても、きっと淋しい生活をされているのでしょう。


 


しかし、健常者を基準としてこんな事を言うことに、何の益があるのでしょうか!?


 


それじゃ~また


 

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共通テーマ:健康

健常者を手本・基準とすることは正しいのか?(2) [障害者として生きる]

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この 健常者を基準・お手本にするというのはリハビリ室に限ったことだけではありません。恐ろしいことにこれが世間一般の基準となっているのです。

 

障害者はやる気を出してして我々のような普通の人に早く近づけるよう努力すべきである。芸能人の誰々も必死に努力して復帰したではないかと、芸能ニュースレベルの知識で主張するのです。

障害者も努力して普通の人のように自立して他人に迷惑かけない人間になれという上から目線の言葉です。

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それだけでなく、国や地方自治体の障障害者福祉の中にもこの匂い強く感じます。障害者は人に頼らず生活面でも経済面でも自立した普通の人を目指せと言う。

 

逆にそうならないのはやる気のなさ努力が足りない、甘えているからだからという決めつけです 。

長嶋茂雄さん、西城秀樹さん。みんな必死でリハビリしていた。あんたはどうなのよ!?という視線です。脳卒中のリハビリは努力すればするほど良くなっていくという。そんな生易しい世界ではありません。やりすぎると痙性もでますし、高次脳機能障害のように他人に見えない脳の障害もあります。

 

これほど多くの片麻痺障害者がいるのに正しい情報が伝わっていない。我々脳卒中障害者の中でも認識が甚だしく異なっている。この点については、次回で。

 


 

 


 

 


それじゃ~また


 

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共通テーマ:健康

「機能回復」の理屈ばかりで、生活を充実させる視点が抜け落ちている [障害者として生きる]

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日本のリハビリのパイオニアとも言える上田敏先生の次の言葉は、私が脳卒中片麻痺生活をおくる上で、常に心にがけ、また励まされてもいます。これは私がブログを書く上で最も大事にしていることです。多少長いですがご紹介します。


ーーーーーーーーーー


リハビリテーションは障害(というマイナス)を減らすことばかりを目指すのではなく、むしろ残された、または隠れてはいるが開発可能な機能や能力(というプラス)を引き出し増大させることに力点を置く「プラスの医学」である。

 

そのためには「機能回復訓練」(普通これだけが「リハビリ」だと誤解されているが)だけでなく障害による実生活上の様々な困難にうまく折り合いをて困難を困難でなくしていく技能(コーピング・スキルズ)の学習が大事である。そしてそれに同時に心の中にある障害ともうまく折り合いをつけそれに負けないようにしていく心の(あるいは魂の)技能(心理的コーピング・スキルズ)の獲得が必ず伴っていなければならない。


ーーーーーーーーー


ブログを、「機能回復」に限定し、ごく狭い視点で同じ記事を何度も投稿される方がおられます。


でも大切なことは機能回復にとどまらず、障害がある身でいかに、障害に折り合いをつけ生活を充実させるかです。脳卒中の重度の片麻痺障害は、完全回復は難しい面があり、改善にも長い時間を要します。


ですから障害を抱えながら生活を充実させることが必要になるわけです。



わたしはこんなこと思いながら、同病者の方のブログ読ませていただいています。結局ブログの魅力は書き手の魅力です。その方が障害を抱えながらもいかに生活の充実を図っておられるか、それがブログの魅力です。


狭い「機能回復」の、しかも同じ話繰り返すだけで、生活の充実どころか、生活の場に他人との交わさえ書かれていないブログには何の魅力も感じません。

結局、さりげない生活の細部がその人を語るのであり、小難しい理屈がその人を語っているわけではないのです。



それじゃ~また

 

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共通テーマ:健康

お墓参りとコウノトリ [障害者として生きる]



お盆の終わりに、一昨年がんで亡くなった、いとこの墓参りに行きました。年が近く兄のように慕っていたのですが、突然あっけなく、亡くなりました。


墓参りだけに無理せずボチ(墓地)ボチ行きましょうなどと、冗談いいながら女房と夕方でかけました。


このお墓は、本家の墓で多くの先祖が眠っています。しかし私が参ったのはほぼ30年ぶりくらいでした。従兄弟達によってずいぶん立派になっていました。


その本家の墓の敷地内に、名前も消えた古い祖先の墓石が数体あったのです。

すると、女房がその頭を一つ一つなでていき、その都度私の麻痺手にもふれ「治りますように」と何度も祈るのです。


その翌日です、近所の田にコウノトリが飛来したとかで、大騒ぎ!

実は一昨年、私はリハビリ散歩中出くわしました。当初は誰も信じてくれませんでしたが、翌日、新聞の地方版に載ってようやくみんな納得しました。

近くで見ると結構大きかった、サギとは明らかに大きさが違います。


誰か写真撮影していればいいのだがと思っていると、幼馴染が農作業中撮って送ってくれました。

 

何故か、とてもいい気分です。

 

それじゃ~また

 

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