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宮本輝著「野の春」 遺言 その2 なぜ父は息子にかくも過酷で残酷な言葉を投げかけたのか!? [お勧め本]

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なぜ父は息子(宮本輝氏)にかくも過酷で残酷な言葉を投げかけたのか!?

前回の遺言(1)はさらに続きます。


親から子への最後のメッセージ


宮本輝著「流転の海」第9部「野の春」本文から抜粋いたします。

流転の海 第9部 野の春

流転の海 第9部 野の春

  • 作者: 宮本 輝
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/10/31
  • メディア: 単行本

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わしはお前が生まれた時からずっと、この子には他の誰にもない秀でたものがあると思ってきた。どこがどう秀いでとるのかがわからんままに、何か格別に秀でものを持ってる子じゃと思い続けてきたんじゃ。しかしそれはどうも親の欲目じゃったようじゃ。お前には何もなかった。秀ものなど、どこを探してもない男じゃった。お前は父親にそんな過大な期待を抱かれ、さぞ重荷じゃったことじゃろう。申し訳なかった。この親の欲目を許してくれ。


熊吾の話を聞いているあいだじゅう、伸仁は 残ったうどんの切れ端を割り箸でつまんで口に運び続けていた。泣いているのは見られたくなかったからだと熊吾は気づいた。


もっと違うことを言いたかったのにどうしてこれほど過酷な言葉になったのかを後悔したがもう訂正はできなかった。すでに言葉が口から出てしまったのだ。伸仁は伸仁なりに咀嚼するしかあるまいと思い。熊吾もそれっきり何も言わなかった。

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◆この言葉は父が死ぬ少し前、子である宮本輝氏が父から受けた言葉です。

以前、宮本輝氏自身がインタビューで話されていました。そのときは、「まてよ!?やりあがったな!」と思っているというお話でした。

つまり息子を発奮させるために父が一芝居打ったという解釈です。


◆今回はそれが思わず出た言葉だ後悔しているという風に書かれています。

 

私はこの言葉を聞いて熊吾らしい言葉やなと思いました。もちろん前言の「お天道様を追いかけて動きすぎた」という小器用な自分に対する後悔があるのですが、非常に眼力(がんりき)に優れた熊吾は、その眼力の由、周りから一目も二目も置かれる存在です。そしてその辛辣で過激な言葉は自分の部下や肉親を絶望の淵に追い込みます。もちろん期待由の激励なのですが。


◆その存在や言葉に力がありすぎるのです。ですから部下などは逆に強い恨みを持つようになっていきます。それが熊吾が人に裏切られ、優秀な、真に片腕となる人物が存在せず、事業を拡張に失敗する原因になったように思います。


◆戦後起業した中小企業の経営者には、素晴らしく優秀な人が数多くいます。また戦争を潜り抜け人間に対する不信感も強く、癖のある人間も多くいました。

 

しかしある時から部下に任せ育てることが出来なければ、年齢とともに衰えるのは会社も同じです。優秀だから逆にこれに失敗するのです。急激に成りあがる人によくある長年にわたり培われた「真の自信」がないのです。

 

◆熊吾の息子への言葉は、死を目前にした不安とともに、息子へ強烈なメッセージだったと思います。『俺の意思を次いで、一人の男として「人かどの人物」になってほしい』というメッセージです。


◆熊吾が生きていれば、作家「宮本輝」はどう映ったでしょうか、自分の見立て違い、おおいなる誤算を、どんなに喜んだことでしょう!


◆宮本輝氏は父親の経験や眼力を引き受けて、9部からなる大作「流転の海」を完成させたのです。35年以上にわたり、多くの読者を勇気づけ、励まし続けたのです。親子2代、2人で書き上げた昭和の前半を描いた傑作です。

 

 

それじゃ~また

 

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