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脳出血から始まった40年ぶりの再会 その1 [障害者として生きる]

高三年の夏前まで部活でサッカーしていました。

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入学時に確か同級生は10人以上いたと思いますが、最後まで残ったのは4人でした。

まあ毎年同じように、受験、下級生にレギュラー奪われたなどの理由で途中で退部していくわけです。残った四人も基本的にライバルでもあったわけですから、特に仲が良かった訳ではありません。


その証拠に同じ大学に進んだN君を除いて、後のY君、H君の2人とは、高校を卒業してから一度も会ったことがありませんし、電話で話したこともありません。もちろん住所なども知りません。


ただ四人とも劣等生でした。同級生が受験に力を入れる中、馬鹿みたいにグランドを走りまわっているのですから当然といえば当然です。


その頃4人共通の受験科目である日本史の模試の結果を部室で見せ合うと、誰一人50点にさえ届いておらず「お前はバカや!」「お前もバカや!」と言い合い大笑いした思い出があります。


それから40年近くたって、私は脳卒中で倒れました。唯一連絡を取り合っていたN君が、たまたま我が家に電話をくれて、それで京都から岡山の病院に夫婦で見舞いに来てくれました。


その後、リハビリ転院した病院に、またも偶然にもN君の父上も入院されており、それから時々見舞いに来てくれるようになったのです。


そのN君は多才で、学生時代から一コマ漫画を描き(全国紙のマンガ大賞に何度も入選した実力の持ち主です)、勤めを辞めた後は、故郷で農園を開き野菜を作っていました。


ある日、京都市での漫画のグループ展の会場に突然Y君が現れたというのです。


N君とY君は40年ぶりの再会でした。両親が死去した関係で故郷の家(旅館)はとっくに処分したとのことでした。何と彼は日本有数の大企業に勤めていて、同期入社で本社に残っているのはわずか3人で、超多忙ということでした。


それからしばらくしたある日、N君は故郷の農業フェステバルで、農園でとれた野菜を販売していました。


すると今度はH君が、そこに現れたというのです。


聞くとH君は札幌の総合病院の院長になっており、これまた超多忙らしいのですが、母親の病気見舞いに帰ってきたということでした。N君とH君も40年ぶりの再会でした。


多才で友人も多いN君以外の3人は同窓会に一度も参加したことがありません。それがN君を中心にして40年ぶりに糸がつながったのです。

 

それにしても、N君。何とも不思議な能力を持っています。私にはこんな能力を持つ友人がもう一人います。


しかし、結局、真の劣等生は私だけだったのです(大泣)。


  それじゃ~また。

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