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脳卒中片麻痺を生きる(最終) 鶴見和子 もう後には戻れないから、前に向かって切り開く [障害者として生きる]

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障害はまさしく新しい世界との出会い


◆そうですとも。異文化としての新しい体験ができるのだから喜ばなくっちゃ。

私はまったく新しい文化を今、生きている。


もう後には戻れないから、前に向かって切り開く


◆それとこの病気は、どんなにリハビリを重ねても元通りには戻れない。だから「回復」ではなく「回生」なんです。回生って何かと言うと 、もう後には戻れないから、前に向かって切り開くしかないということ。前進しかありません。老いもそうですね。 決して二十歳には戻れない。だから死ぬまで前へ前へ、人生を拓いていくんです。

 

 

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もちろん鶴見和子さんは恵まれた生い立ちであり、職業が学者ということで、脳卒中片麻痺となっても比較的仕事を継続しやすかったと言えると思います。

 

ですけれども、その思索(しさく)は、人生の途中で突然、脳卒中片麻痺になった人間に、指針と勇気を与える素晴らしいものだと思います。


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【鶴見和子】


1995年12月に脳出血で倒れて左片麻痺となり]、車椅子生活を送りながらも]、これまで書かれた著作をまとめた『鶴見和子曼荼羅』(全9巻)や、生涯の中で関わりのあった様々な人物や学問上の関心が照応する相手との対談をまとめた『鶴見和子 対話まんだら』というシリーズを藤原書店より刊行。
2006年7月31日に大腸がんのため88歳で没した(ウィキペディア)

 

それじゃ~また

 

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脳卒中片麻痺を生きる(3) 鶴見和子 老いや障害に対して自分の持っている可能性を引き出す [障害者として生きる]

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老いや障害に対して自分の持っている可能性を引き出すということが大切


◆私はこれを「内なる埋蔵資源」と呼んでいます。

私の場合回生していく上で、忘れていた短歌に助けられた。同時に娘時代に習った日本舞踊の稽古がリハビリを続ける時にとても有効に働きました。 踊りはアメリカ留学で中断しましたが、60を過ぎてから再開しました。


◆リハビリは10日休んだらもう歩けなくなるほどです。だから毎日繰り返しやることは絶対条件。踊りもまた稽古、稽古の連続で同じことを飽きずに続けることが必要です。この習慣を体で身につけていたからこそリハビリを「つまらない」と考えることなく続けられたんだろうと思います

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埋蔵資源のない人はは一人もいません。


◆「埋蔵資源のない人は一体どうしたら?」、そんな人は一人もいません。

 

◆私の場合、たまたま分かりやすい形で短歌と踊りが表面に出てきましたが、それこそ生命の起源までさかのぼれば、 DNA という形で無限の埋蔵資源が刷り込まれている。その中には元気で活動している時は忘れて奥深くに眠っていたものもあるはず 。それが加齢や病気で自分の内側に目が向くことで、あるいは生理的な回路が変わることで掘り起こされてくるのです。

 

 

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前回も述べましたが、歩行に関して「毎日繰り返すことが絶対条件」という今回の言葉も、「毎日がむしゃらに頑張って歩く」ということとは全く違います。

上田理論は「少量頻回訓練」を柱としています。オーバーワークを何より恐れます。詳しくは下記の記事を御覧ください。 

 

回生を生きるその1 少量頻回訓練の大切さ

 

それじゃ~続きはまた

 

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脳卒中片麻痺を生きる(2) 鶴見和子 歩けることの大切さ [障害者として生きる]

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毎日必ず歩く練習をする


◆歩くことはリハビリの目的を満たすだけでなく、頭が活性化され仕事がはかどるという効果があります。 私がこうして 仕事を続けられるのは、国際リハビリテーション学会の会長をされていた上田敏先生のおかげなんです 。


◆もし先生に出逢わなかったら、車椅子だけの余生を当然と思っていたでしょう 。他の先生からは「もう歩けません」と言われってましたから。


◆それまでを障害というマイナス価値を認めた上で、努力しようと考えていたのですが 、歩けるようになって以降は、 老化や病気をもたらしたプラス価値に目が向くようになったのです。上田先生は障害を受容することで新しい価値を創造するのだとおっしゃる。


◆ 肉体的な回生がが精神的回生につながりました 。上田先生のリハビリテーション理論は可能性の理論なんですね そしてこれは私の「内発的発展論」にも通じるもの です。


◆この病気の方に申し上げたいのは、歩けないと言われても決して諦めず納得いくまで病院を訪ねいろんな医師に相談することですね。

 

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ここで注意が必要なのは、「毎日必ず歩く」ということです。これは、「毎日がむしゃらに歩く」ということとは全く違います。上田理論は「少量頻回訓練」を柱としています。オーバーワークを何より恐れます。詳しくは下記の記事を御覧ください。 

 

回生を生きるその1 少量頻回訓練の大切さ

 

それじゃ~続きはまた

 

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旅の夕食は、和食でアラカルト。 [障害者として生きる]

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旅の夕食は、ホテルで食事できると片麻痺の私は楽ですが、観光旅館・ホテルの様に宿泊と食事がセットになっているのは嫌いです。冷めた、同じような味の料理が苦手なのです。私は和食党ですが、定食とアラカルト(一品料理)で色々頼みたいのです。


ですがから普通のホテルで、和食の食事処などがあれば最高です。そんなホテルをまず探します。もし見つからなければ、タクシーで乗り付けられる地元の居酒屋を探します。あまり近いとタクシーもイヤでしょうから、片道1000円程度の距離の範囲で探します。魚がうまい居酒屋がいいですねえ~。


昨年暮れに行った四国の観音寺グランドホテルはこの条件にぴったりでした。

この後、長芋のからあげや手羽先など居酒屋風一品料理で仕上げました。
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【参考】 綾菊 純米吟醸

それじゃ~また

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「脳卒中片麻痺を生きる」(1)社会学者の鶴見和子さんの一日 [障害者として生きる]

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今回から何回かに分けて「脳卒中片麻痺を生きる」として、社会学者の鶴見和子さんにご登場願います。以前おすすめ本で回生を生きるを紹介したのですが、今回、雑誌「サライ」の2000年5月18日号ののインタビュー記事をもとに、私が、同じ脳卒中片麻痺の視点から編集し、お届けします。

 

この時の鶴見和子さんは81歳、98年より京都宇治市の高齢者施設「京都ゆうゆうの里」に入居されています。本来、鶴見さんは学者さんですから、その言葉に馴染みにくさがあるのですが、今回はインタビューということで、口語に基づくわかりやすい文章です。

 


どんな毎日を過ごしておられますか?


◆残された時間は短いし、何をするにも倍も3倍も かかります。 起きている間は隙間なく時間が埋まっています。


◆ 起きるのは5時30分から6時の間。 装具をつける前にベッドの上で手足の体操をして車椅子に移る。 窓を開けて換気し深呼吸します。 日常生活のすべてについて自分のできることできないことを見極めることが必要 。もしかしたらできるかもしれないということは工夫してみます。 少しでも甘えると体の機能がどんどん後退してしまいますから。


◆ 朝食後は歩く稽古を1時間。これは何があっても絶対に欠かせない私の日課です 。


◆午後は仕事であっという間に過ぎていき夕食が5時。就寝は9時から9時30分です 。明日着るものを用意し、腹筋、背筋のの運動し、自分でもできる程度の足のマッサージをすると、もう寝る時間。 昼間はどんなに疲れてお昼寝をしないので毎晩気持ちよく寝れます 。

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毎日変わらず規則正しく、リハビリを生活に取り入れ、仕事時間も確保し、取り組まれています。80歳を超えてなお仕事や生活対する衰えぬ熱意、意欲といったものを強くお持ちであると感じます。

 

それじゃ~続きはまた

 

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