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男(片麻痺障害者)のための老い方講座 ブログトップ
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(6)虐待か!?こんな場合はどうすればいいの [男(片麻痺障害者)のための老い方講座]

 


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2017年3月28日に神戸新聞にこんな記事が載りました。 


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たまたま長女が生まれた病院だったので目にとまったのですが。


こんな場合はどうすればいいんでしょう。内部犯行ならお手上げです。


私も脳卒中急性期の病院で、尿が出ず痛風を再発した足を、鋭い目つきの女性看護師に深夜、何度も触られ悲鳴を上げました。
抗議すると「感覚テストです」と平然と言い放った。幸い男性の主任看護師に訴え、2~3日で担当から外れました。深夜薄明りで見た彼女の歪んだ顔、仕事か家庭かどちらかに大きなストレスを感じていたはずです。怖い体験でした。


ひょっとして、つめの間に針を差し込んだのか・・?本当に痛かったでしょう。 


「メガネさん 、飴玉あげますから、あ~んして」「なんじゃこれビー玉やんけ!」などと言い返せないでしょうし。


どうするか!?録画、録音がまず考えられる対策ですが、これは寝たきりの場合協力者が必要です。寝たきりで外来が少ない場合、悲惨なこのようなケースが多いのか!?


 では、こんな施設を事前に見極められないのか、こんな一文を見つけました。
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■職員のモラルを下げる主な要因は、毎日同じ仕事の繰り返しと、障害者に対して優位な立場に立つことの二点である。


■これらを一度に防ぐ方法は、担当をつけないことである。障害者に対して特定の職員を担当として 張り付けると、仕事に変化がなくなると同時に両者の関係が固定化し上下関係に結びつきやすくなる。


■そこで担当者をローテーション化し、1人の障害者をいろいろな職員が見るようにするのである。このローテーション方式は職員による虐待を防ぐ意味でも効果がある。仮にある職員が虐待をしたとしても、別の職員が入浴介助などをすればすぐに見つかるだろう。


■施設を外部の目にさらすこともモラル低下の防止には有効である。施設見学者やボランティアの受け入れなどがそれである。見学者は一時的に外から見るだけなのだが、ボランティアは実際に施設内の仕事に関わるため職員の仕事ぶりにも目がいきやすい 。「障害者の経済学(中島隆信)」
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施設入居時のチェック項目として、「職員のローテーション化」「ボランティアの有無」ぜひ覚えておきましょう。 


さらにどうすればいいのか、しわの少なくなった脳でこれからも考え続けたいと思います。


じゃ~また 


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(5)介護する側される側の相性は。色気は関係を救う [男(片麻痺障害者)のための老い方講座]

介護する側される側の相性は、色気は関係を救う

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今回は、男女に分けて介護する側される側の相性について考えてみたいと思います。これはあくまで介護される側の立場に立った分類です。

 

私が考えた相性の良さ悪さは表の通りです。基本異性間の相性は良いと思われます。これは三好春樹先生もおっしゃっていますが、いくつになっても、精神的な「色気」が消えないからだと思います。

先生によれば、介護される女性は、特に若い介護職の男性が好みのようです。ここは〇

 

反対に女性介護職との関係は微妙。悪くすると嫁と姑みたいな関係になるようです。それで△。

 


男性は、女性介護職に対しては基本〇ですねえ。特に優しい人は三重〇。中には、意地悪女性がいてへきへきしますが・・・。意地悪対策は多少必要かも。


問題は介護される側が男で、介護者も男性。とくに若い男性介護職との関係です。若い男性介護職に子供扱いされたりすると本当に頭にくる。基本×だと思います。


デイケアに通っていた頃、家では20代の息子たちのとって威厳ある(?)頑固おやじなのに、デイケアに行くと息子と同じような20代の介護職の男性職員に「大丈夫?」など笑いながら見下される。これ本当に頭にきました。少なくとも子供扱いには断固抗議していましたので扱いにくさNO1の通所者でした。


私も孫ぐらいの年齢の介護職の男性なら感じ方が変わるのかもしれませんが・・。


とにかく男性は、若い男性介護職との関係をどう築くかが課題であると思います。

圧倒的に存在感があり、風格・品格のある男性は問題なしですが、私の様にどう見ても普通のおっさん。しかも口うるさいとなるとこれは大問題。陰でぶん殴られる可能性さえあります。

 

それじゃ~また。 


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(4)介護(リハビリ)を仕事にしてしまう男たち [男(片麻痺障害者)のための老い方講座]

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今回も教科書(「男と女の老い方講座」三好春樹著)からです。「片麻痺障害者となった女房を介護」している方はもちろん、そうでない方は「介護」を「リハビリ」と読み替えて、読んでください。
  
それにしても「男の特性」が良くとらえられており、思わず笑ってしまいました。
 
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男の介護は生きがいになってしまう。これが問題だ。
定年になって、それまで生きがいだった仕事がなくなった男性にとってはこれは新たな生きがいになる。
 
介護を生きがいにするのは悪いことではない。しかし日本の男性が仕事一筋に打ち込んで ワーカホリック( 仕事中毒)と呼ばれているのと同じやり方で介護をし始めるから問題なのである。
介護目標を設定しそれに向かってがむしゃらに頑張るのだ。
 
ちょうど売上目標の達成に向けて残業もいとわず働くサラリーマンのように。
 その目標には歩行を可能にすると言った機能動作の自立が選ばれることが多く。
その大半がまずは無理な目標であることが多い。
 
目標が達成できそうにないとなると、自分はこんなに頑張っているのに成果が出ないのは本人が悪いからだ
 と妻に無理やり筋力増強や関節を広げる訓練を強要したりすることにまでなってしまう。
  
記録も実に丁寧につけてある。
 元銀行員の夫の介護記録は分厚い大学ノート一冊が1年間でもう7冊目であった。
聞いてみると血圧、脈拍から水分の摂取量、尿量まできっちりと記録してある。
 
オタクと呼ばれるのは男性が多いように、この世界でも介護オタクが男の介護の特徴である。
生きがいにしてしまうにせよ。オタクになるにせよ。
 
介護している自分を確認することが一番の目的
 
になってしまって肝心の介護される側の気持ちを考えなくなるというものが困ったことである。
真面目な人ほどそうなると困りものである。

そうした男達の介護と比べると女の介護は総じていい加減である
目標なんて立てないし、記録もとったりしない。
どうやら女は、男の側から見ると無意味に見える同じことの繰り返しに耐える能力が高いらしい。
家事をやってきたせいだろうか
 
男はそれに耐えられなくて目標を立てて、介護を仕事のようにして乗り切ろうとするのだろう。
それにしても女の人はお互いに愚痴をこぼしやってケアするが、 男は愚痴を言わない。弱みをそう簡単には見せないのだろう。年をとれば総身弱みだらけになるのだけれど。
 
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介護とか、リハビリは、女性の方がその特性から合っているような気がします。
 
特に慢性期は。これから老いて体がますます弱っていく中でも、いやになって投げ出さず。粘り強くリハビリを続けていくのは女性かも知れません。
 
年を取れば目指すべきは、おしゃべりで、こだわらない「おばちゃん」なのでしょう。
 
それじゃ~また。 


タグ:老い
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(3) 自立した人ほど要注意! [男(片麻痺障害者)のための老い方講座]

老いに適応するための講座の第3回です。今回、三好先生の主に団塊世代の人向けメッセージですが、三好先生ご自身の、苦い「離婚体験」にも触れられています。
 
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「個人主義」は、危険! 
「進歩主義」とともに私たちの価値観となっていたのは「個人主義」であった。自立した個人になることが人間の目標であるとされた。

こうした「個人主義」と「男女同権」という理念を空気のように吸い込み育ったため私は結婚とは自立した男と自立した女が共同生活するものでなくてはならないと思っていた。

しかしそうやってなされた結婚は破綻し離婚へと至った。「理念で結婚、本音で離婚」というのは団塊の世代を取材した記事に付けられたタイトルだが、私にぴったりの言葉である。人が依存しあうのは当たり前のことなのである。

自立を目指して生きてきたことが、実は排他主義と孤立をもたらす。
脳卒中による手足の麻痺といった障害を負った時に家から出なくなりに自我を崩壊させていくのは男の方が断然多い。
その理由は、男が自立した個人であったからである。
自立していない自分を人目にさらすのは嫌なのだ。人から介助されるのに耐えられないのである。

さらに自立していたからこそ人間関係が希薄で、人間にとって必要不可欠な人に依存するということがうまくできていないのである。

自我の崩壊を食い止めるためには関係作りのリハビリが必要だ!
自分は自立していると考えているあなた、自立すべきだと考えているあなた、障害を持ったり老いたりしたときそれは最大の障害になることを知っておいた方がいい 。

定年になった途端に呆けてしまったという話はよく聞く。脳卒中で片麻痺になった人に呆けが多いのを医療の世界は「脳血管型痴呆」と名付けて器質性のものであるかのように言うが、実は片麻痺という障害によって生活空間が狭まり、人間関係がなくなってしまうことを原因とすることの方がはるかに多いのである。

こうした自我の崩壊をもたらす原因を私たちは「関係障害」と名づけてきた。目に見えない関係が原因だから自我の崩壊を食い止め再建するためには関係作りのリハビリが必要だということになる。目に見える個体へのリハビリとは違うのだ。

生活空間は移動能力で決まるのではない。会いたいと思う人がいなければたとえ1人で移動できても家から出ることはない。まして誰にも会いたくない気持ちになっていれば、なおさらだ。しかし会いに行きたい人がいれば車椅子を使ってでも出かけるだろう。街がバリアフリーになっていなくても介助してしてくれる人がいれば可能だ。

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我々片麻痺障害者は、リハビリといえば、機能回復のみに目が行きがちですが、生活が変われば、人間関係もリハビリ・再建しなければならないということなのです。
 
このことに視線が向かない人が圧倒的に多い。もちろん職場復帰を果たし病前の人間関係が維持できる人はいいのですが、私のように仕事(その人間関係)を失ってしまうと、人間関係の再構築が必要になってくる。
 
私は今、友人たちが定年退職の時期を迎えておりこの点はラッキーです。幼馴染たちも定年を機に故郷に戻ってきています。そうなると私は「第二の人生」の先輩です。嬉しいことに、子供の時と同じように、ガキ大将気分を味わっています。
 
ただ、それだけでなく、新たな人間関係を広げることも必要です。些細なことですが、リハビリする公園では、できるだけこちらから挨拶をすることにしています。数人ですが親しく話をできる人もできました。
 
       そんじゃ~また 

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(2)「進歩し発達する」という呪縛から逃れる [男(片麻痺障害者)のための老い方講座]

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 男(片麻痺障害者)のための老い方講座のその2は、「 進歩・発達の思想・主義の呪縛(じゅばく)から逃れる」です。
 
教科書「男と女の老い方講座(三好春樹著)」から、いつものように抜粋いたします。 
 
【進歩主義で、老いは捉えられない】 
時間の流れがより良いものに向かって発展、進歩している直線的なものだという感覚は私たちには馴染みのものである。
 
確かに歴史は原始、未開から古代、中世を経て近代に至る進歩の歴史であるように見える。これが歴史の目的でありその歴史の中で個人の最も大切な役割はその歴史の進歩に貢献することである。というのが左翼的インテリの常識となっていた。
 
ところが老いは進歩とは逆の方向性なのである。進歩が上向きなら、老いは下向きだ。進歩が良いことなら、老いは悪いことになる。ところが今でも進歩主義の側から、老いの意味が提出されることなんか、ないのである。
 
それどころか 老いという現実を自分たちの狭い理念の中に取り込む輩からまで出てくるのだ。人間は老いて死ぬまで発達するなんて言う輩である。
 
進歩し発達することが善だから、老いの意味を見つけようとすれば、無理やり老化を発達と言いくるめではならないのである。じゃ年を取って動けなくなり呆けていくのは一体なんだんだと言いたくなるでまいか。
 
【人間は発達と老化でワンセット】  
人類とか社会とかいうレベルで見れば進歩発達という右肩上りの時間の流れが存在するように思える。しかしそれは幻想である。人類や社会という抽象的なものはどこにも存在していなくて、存在するのは一人ひとりの人間でしかない。
 
その人間にとっての時間の流れは進歩・発達し成人となって停滞し、老化過程を経て死に至るというものである。つまり発達と老化という二つで一つのセットこそ人間にとって普遍的な時間の流れなのだ。
 
人間は一人で生まれ発達し老いて一人で死んでいく。歴史がどのように語られようと人はその時間を生きるよりほかない 。
 
 
社会に貢献してこなかった高齢者も受け入れる 
敬老の日の行事の偉い人の挨拶の内容はほぼ決まっている。高齢者を大切にしなければならないなぜなら高齢者は長年社会のために貢献してこられたのだから、というものである。
 
私はちょっと待ってよと思う。確かに社会に貢献してきた人もいるだろう。しかし私の隣で長い挨拶の終わるのを待ちきれないで袋の中のお菓子に手を出しているNのじいさんはどうだ。夫らしいことっも父親らしいことも何一つしないでバクチにはまり、年をとって脳卒中で倒れたら当然ながら妻と娘に引導渡されて特養ホームに入所してきたのだ。
 
車椅子のOさんも何人かの職員しか知らない前科があって、ぶ厚い塀の中にいたおかげで原爆で死なずにすんだという人である。
あのNさんもOさんも長年社会のために貢献してきたとは思えないが、そういう人は大事にしなくていいということになるのではないか。
 
私たちに求められているのはどんな生き方をした人であれ老いて死んでいくということを丸ごと肯定できるような思想なのである。

男と女の老いかた講座―老いに上手につき合える人、つき合えない人

男と女の老いかた講座―老いに上手につき合える人、つき合えない人

  • 作者: 三好 春樹
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2001/05
  • メディア: 単行本

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かくて特養ホームに勤め、老人の現実に接することで、三好青年は、留置所に入れられるまで信奉していた左翼的な思想から解き放たれたという。いささか肩に力の入った文章です。

しかし、男は、老人になっても、長年しみついた「進歩・発達」を信奉しがちです。それは前回の「金、地位、名誉」と同様です。単純に図式化すれば、「進歩・発達」を信奉していたからこそ「金、地位、名誉」を手にしたといえなくもないのですが。成功した人ほど、「進歩も発達も」できなくなった反動も大きいのではと思います。
 
通所リハビリ施設の不機嫌そうな男性のご老人を見ると私はそう感じます。一方、成功とは縁のなかった人は、ゆったり、のほほんとしている。ですから老後は他人に受け入れらやすいのでしょう。
 
関西吉本新喜劇には、必ずこのようなキャタクター(漫才ではボケ役)の登場人物がいます。池野メダカさん、井上達夫さん、寛平チャンもこのキャラです。私は、老後はこのキャラを演じ、老人施設で、女性達と明るく過ごしたいと思います。小学生から夢中になったキャラです。多少自信があります。
 
 

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