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茨木のり子さんのブログ [メガネサルの息抜き話]

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もちろん、茨木さんの時代にブログはありませんが、もし茨木さんがブ ログを書いていたら、こんな味のあるブログになるだろうと具体的に思わせます。「料理の写真+レシピ+日記」どれも秀逸です。

 

●月●日

いつまでも「みずみずしく」精彩があって面白い女でいたいのに・・・私の頭をしめているのはだんだん現実的になってしまって、口やかましくなって世話をやきたがって、 ツマンナイヤツになっていくような気配、アヤウシ 。

 

茨木さんの「みずみずしさ」が逆に伝わってくる。「面白い女でいたい」こんなこと考える人好きやなあ~と私も無条件に同意してしまう。「面白い奴」「おもろい奴」は関西では最高の誉め言葉です。

 


●月●日


暖かい日差しを浴びて、みかん箱を焼いて本箱を作る。二人とも真っ黒になり2時半銭湯へ出かける。街を揃って歩くのはなんとなく照れる。これも古い感覚なりといましめて堂々と歩く。いい日曜日だった。自分で作ったものはこんなにもほのぼのと楽しいものか。

 


茨木のり子の献立帖 (コロナ・ブックス 207)

茨木のり子の献立帖 (コロナ・ブックス 207)

  • 作者: 茨木 のり子
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2017/01/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


3月3日


三越から送ってきた小さな紙ひなを飾り、菜の花をこんもりとさし、家中の小さな人形をラジオの上に並べ、お寿司を作ってささやかに祝う。彼(夫)しみじみおひなさまを眺めていた。つつましい幸福。若い私たちの今の良さを、失わずに行きたいと思う。


■オマールエビのリゾット、コーラルソース

こんな本格的なもの家庭でつくっていたんだ、茨木さん。

 

■マカロニナポリタン

麺はうどん代用、鶏もつ、ケチャップ 

何とも庶民的に、しかも大胆に変身しています。


■鶏とびわの甘酢あんかけ

びわは缶詰だから、材料は手に入りやすい物ばかりですが、料理上手がわかる一品です。おそらく酢豚(パイナップル缶+豚肉)が元でしょうが、一工夫でこんなおいしそうな一品を作るなんて脱帽です。

 

■□■□■

 

 ところで、話は全く変わりますが、我々脳卒中ブログ村を眺めてみると、ブログを始めた初期ころは、誰しもやはり治療、リハビリが話題の中心となり、しばらくすると、日常の生活が中心となる。

 

片麻痺の日常生活の日記がいいなあと思える人は、初期の治療・リハビリに関するブログ記事もいい。過去の記事を時々アップされているのを読んでみて感心しました。

 

茨木さんも日記、料理どれもいい。

 

山形県の庄内地方は、茨木さんのご主人の故郷で、いま茨木さんもご主人とともにこの地で安らかに眠られています。ここは作家藤沢周平の故郷でもあり小説の舞台でもあります。私が一度ぜひ訪れてみたい所です。 

 

 

それじゃ~また。 


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自分の感受性くらい 茨木のり子 [メガネサルの息抜き話]

茨木のり子さんは、1926年に大阪で生まれ。49歳のとき夫に先立たれ、以降31年間一人暮らしを続けました。一人暮らしを始めて2年後発表したのが『自分の感受性くらい』です。

 □■□■□■
 
自分の感受性くらい  茨木のり子 
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ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
 □■□■□■
 
片麻痺になってから思い通り体を動かせず、ストレスと一緒に暮らす日々。 やはり苛立ち、気難しくなってしまう。それが、ひどくなって自分の気持ちを持てあます時、自戒を込めて時々読み返します。 
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ちなみに同じ作家の宮尾 登美子さんは(写真中)同じく1926年生まれ、上坂 冬子さんは(写真下)1930年生まれです。ちなみに今何かと話題の多い石原慎太郎氏は1932年生まれ。このお三方からすれば弟です。

この年代の女性はどうしてこんなに強じんなのでしょう。
 
感性のみずみずしい頃(「わたしが一番きれいだったとき」 茨木のりこ)に戦争を体験された世代です。
 
「晩節を汚す」男性(作家、政治家)が多い中、この成熟ぶりは驚嘆させられます。
 
お三方とも歳を取られた写真見てもとてもお綺麗です。「覚悟も意志も」持って人生を全うされた美しい女性たちです。

それじゃ~また。 
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タグ:精神・魂
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脳出血から始まった40年ぶりの再会 その2 [メガネサルの息抜き話]

ある日N君から電話がありました。

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「Y君、H君とも相談し、サッカー部の同級生で同窓会をすることになった。お前も参加するように」とのことでした。


私は「俺は障害があり、京都や大阪までは行けん。足手まといやから3人でやってくれ」といったのですが、


「それで場所は、メガネの住んでいる町に集まることにする。だから参加するように」とのことでした。


そこまで言われれば私も、もう断れません。必ず出席するから高校のある思い出多い町に集まろうと提案しました。


私は当日も、未だ半信半疑でした。超多忙なY君やH君は多分来れないに違いない。

「北海道からわざわざ来るの??」という感じでした。


当日、会場に早く着いた私は、ぼんやりロビーのソファに腰かけていました。

しばらくすると、見知らぬ2人が入ってきてフロントカウンターで何やら話しています。


その二人が、今度は私の方に歩いて来ます。私は知らない二人だと思っていると・・突然

「メガネやんか!何やお前、高校の時と何んも変わってないやんか!」というのです。


よくよく顔を見るとそれは、Y君とH君です。汚いユニホーム姿しか記憶にない私は普通の服の二人がわからなかったのです。

 

それから二人を迎えに行き駐車場に車を入れてきたN君が加わりました。

そこはもう高3の劣等生だったころの部室です。40年という時間が一気に巻き戻されています。


「メガネがさぁ~、選抜チームのFW(フォワード)とマッチアップした時、反則タックル連発しまくって、ついに審判に呼ばれてさぁ「君!高校生らしいプレイをしなさい!」て注意されたやん、あれおかしかったなあ~」

「うるさい!お前こそ女子マネジャーにリンリン、ランランとか上野動物園のパンダの名前付けてヒンシュクこうたやないか!」

ろくな思い出はありませんが、大いに盛り上がります。


3時間くらいはあっという間に過ぎ、写真を撮るでなし、住所を交換するでなし、昔話で盛り上がっただけで、そのまま大いに満足して別れました。まるで40年前と同じです。


もう二度と会えなくても私は大満足です。


今まで同窓会にさえ1度も参加したことのないY君とH君がわざわざ来てくれたのは多分私が脳卒中で片麻痺となり、おまけに心筋梗塞までやったからだと思います。循環器科の医者であるH君が、私の病気を他の2人に説明したのかも知れません。


この病気になって良かったとは決して言えませんが、それでもそれ故、もう二度と会えなかったかもしれないY君とH君にN君を通じて再会できたのです。私は大満足です。

 

高校の時、部活でサッカーボールを追いかけたことが、40年後、こんな意味を持つなんて・・。本当に人生は生き延びてみなければわからないのです。

 

                         それじゃ~また。 

 

 

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脳出血から始まった40年ぶりの再会 その1 [メガネサルの息抜き話]

高三年の夏前まで部活でサッカーしていました。

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入学時に確か同級生は10人以上いたと思いますが、最後まで残ったのは4人でした。

まあ毎年同じように、受験、下級生にレギュラー奪われたなどの理由で途中で退部していくわけです。残った四人も基本的にライバルでもあったわけですから、特に仲が良かった訳ではありません。


その証拠に同じ大学に進んだN君を除いて、後のY君、H君の2人とは、高校を卒業してから一度も会ったことがありませんし、電話で話したこともありません。もちろん住所なども知りません。


ただ四人とも劣等生でした。同級生が受験に力を入れる中、馬鹿みたいにグランドを走りまわっているのですから当然といえば当然です。


その頃4人共通の受験科目である日本史の模試の結果を部室で見せ合うと、誰一人50点にさえ届いておらず「お前はバカや!」「お前もバカや!」と言い合い大笑いした思い出があります。


それから40年近くたって、私は脳卒中で倒れました。唯一連絡を取り合っていたN君が、たまたま我が家に電話をくれて、それで京都から岡山の病院に夫婦で見舞いに来てくれました。


その後、リハビリ転院した病院に、またも偶然にもN君の父上も入院されており、それから時々見舞いに来てくれるようになったのです。


そのN君は多才で、学生時代から一コマ漫画を描き(全国紙のマンガ大賞に何度も入選した実力の持ち主です)、勤めを辞めた後は、故郷で農園を開き野菜を作っていました。


ある日、京都市での漫画のグループ展の会場に突然Y君が現れたというのです。


N君とY君は40年ぶりの再会でした。両親が死去した関係で故郷の家(旅館)はとっくに処分したとのことでした。何と彼は日本有数の大企業に勤めていて、同期入社で本社に残っているのはわずか3人で、超多忙ということでした。


それからしばらくしたある日、N君は故郷の農業フェステバルで、農園でとれた野菜を販売していました。


すると今度はH君が、そこに現れたというのです。


聞くとH君は札幌の総合病院の院長になっており、これまた超多忙らしいのですが、母親の病気見舞いに帰ってきたということでした。N君とH君も40年ぶりの再会でした。


多才で友人も多いN君以外の3人は同窓会に一度も参加したことがありません。それがN君を中心にして40年ぶりに糸がつながったのです。

 

それにしても、N君。何とも不思議な能力を持っています。私にはこんな能力を持つ友人がもう一人います。


しかし、結局、真の劣等生は私だけだったのです(大泣)。


  それじゃ~また。

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冬の山桜を見に行く [メガネサルの息抜き話]

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花の季節以外にも桜を見に行くようになった。
                 宮嶋康彦(写真家)


□■□■□■□


これは一つの反省があってのことだ。
「いままでは花にうかれて桜の木を見ていなかった。」
と思い至ったのだ。


人の明るい一面をみてその人を朗(ほがらか) な人物だと思い込むようなものだった。
人格の多面性を理解せず付き合っていて、意外な一面に驚くという経験にも似ていた。
桜の四季を撮影するようになって、はじめて桜を理解したような気持になっている。


冬の姿を知ってはじめて、繚乱(りょうらん)として咲く花の美しさを認識したのだ。


 サライ(山桜)




この桜、見に行かん

この桜、見に行かん

  • 作者: 宮嶋 康彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/03/10
  • メディア: 単行本




 それじゃ~また。


 


 


 


 


 


 


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