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「障害者にとって謙虚とは」 第2回 --障害者は謙虚でなければならないか-- [障害者として生きる]

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今回も、障害者と謙虚について考えたいと思います。第2回目は「障害者は謙虚でならなければならないか」と言う事を考えてみます。


 

まずその前提となる、「障害者はマイナスと存在」という「脳卒中されど心は能天気」さんのブログの記述について考えてみます。


 

「脳卒中されど心は能天気」さんは、障害者がマイナスとは、つまり社会コストのことだとの説明されています。経済的な面でいえばマイナスという考えです。障害者の存在は社会に経済的な費用(コスト)を発生させているとの考えです。


 

私は、家庭においてさえ「コスト的にはマイナスの存在」です。トイレや自室のリフォーム、手すり、車、女房の介護が必要等々病気以降、我が家にとっては、大変なコストをかけ生活を維持してきました。投資で多少稼いでいますが、コストに比べ、未だ4割程度にすぎません。つまり経済的には完全にマイナスの存在です。ただし経済的な面だけです。「その他にもマイナスはある」との声が家庭内にもあることはあります(笑)。しかし、私にしかできないことも多くあり、私の自信は揺らいではいません。





当然、私は社会的コスト(費用)の面でもマイナスの存在です。重度障害者としての福祉的恩恵に比べ、納税も大した額ではありません。が、それだけです。「脳卒中されど心は能天気」ブログでの主張も、コスト面からはマイナスだと言っているにすぎません。


 

マイナスの存在とは、あくまで経済的な費用(コスト)の面と言っているわけで、存在価値ではありません。つまり優生思想に見られる「障害者は生物(人)としての価値が劣っている」と言う理由ではありません。


 

そもそも、障害者自身が、自分自身の存在価値を否定するようなこと主張するはずありません。しかも障害を抱えながらも実際、健常者と同じ仕事をこなし社会の最前線で戦っている人間がですよ。






「障害者は健常者より謙虚であれ」と言うのは、


 

〇「障害者は社会コストを発生させている」そのことを自覚し謙虚な姿勢で。


〇謙虚な姿勢が、健常者との関係を円滑化し、障害者の身の危険を軽減する。


 

という生きる姿勢としての主張なのだと思います。つまり私が前回主張した生きる知恵・武器としての謙虚に近いと思います。障害者は「本来あってはならない存在」という存在価値として劣っている。だから謙虚であれと言っているのとは根本的に違います。


 


健常者の中に入り、社会の最前線で戦っている障害者だからこそ、日常的に様々な場面に遭遇し、時に身の危険を感じる経験もしている。だから「障害者が生きていくうえで謙虚な姿勢の方が、生きやすく 安全である」というアドバイスだと思います。


 


私も健常者の方と話していて、口に出されないものの「自己管理できずに障害者になったくせに、何を生意気な!」という中途障害者に対する特別な感情を感じることがあります。反感や蔑(さげす)みといった感情です。


  


ですから今回の「脳卒中されど心は能天気」さんの一連の記事は「脳卒中後遺症の障害者が、社会で生きていくのに役立つ大人の知恵をもっと出し合おうぜ!」という提言であるようにも私は感じました。


 


その考えをベースに、さらに一歩進めた「社会貢献」については、別の機会に考えてみたいと思います。


 

それじゃ~また。


 

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